春の風物詩 塩竈神社「帆手まつり」
春の風物詩 塩竈神社「帆手まつり」2019 3/10 大迫力!急な坂を下る神輿
氏子三祭
帆手祭・花祭・みなと祭の、神輿が渡御(市内巡行)する3つの祭典を氏子祭といい、併せて氏子三祭と称しております。今でも神輿は神社の鳥居迄は神社の管理下、鳥居を一歩外に出れば一切は氏子の責任と言う決め事が厳然と守られております。
帆手祭
この祭は天和2年(1682)塩竈が大火に見まわれ、港に出入りする船も減少し地域が衰退した時に火災の鎮圧と景気回復を鹽竈さまに祈って始められた祭で、今も火伏の祭として続けられています。市内の若者が中心で、当時鹽竈神社は唐門から中へは一般の人は入れませんでしたが、祭日は特別に若者(伜)だけは中に入れてもらう許可が出ました。そこで「伜まつり」と言う名で正月20日に始められたのである。当時は神輿は無く梵天(リュウノヒゲを束ね棒の先に附けたもの)を持って町中を練り歩いたとされています。ですが、天和4年「伜まつりを毎年行うのは贅沢だ」と代官より達しが出て一旦中断しましたが、この年再び大火に見まわれた為、再び復活し以後正月28日に行い、まつりは年々華やかになり、やがて享保18年(1733)に現在の神輿が出来ると、神輿の町内渡御に変わり明治5年に「帆手祭」と改称し、祭日も3月10日に変更し戦時中も中止することなく受け継がれてきました。荒れ神輿(神意のままに動き回る)としても有名で住民の間には数々の逸話も残されています。
又市民の間では春を呼ぶ祭とも言われこの祭を機に春を実感します。